ワクワク人生のススメ!

自分がワクワクすることを沢山書く事で、人生を楽しくしたいな、と思ってます。

天真爛漫に約束を破る女の子


ちょっと「天真爛漫な女の子」について後輩と話をしていたんですが、その子は事前にしていた約束を当日に簡単に反古にしてしまうらしい。他の約束を優先してしまうと言うか。その話を聞いた時に「約束を反故にしたときに相手がどういう風に思うのか?」という想像力が足りないんじゃないかな、とか思った。


良い意味で天真爛漫で自己中心的というのは人間の特性ではあると思うんだけど、もうちょっと考えて行動した方が良いんじゃないの?とか思ったりもした。悪気は無いと思うだけに余計にそう感じる。


でも小さい頃からちやほやされて育つとそういう風になっちゃうのかな?なんてちょっと思った。ある意味幸せな人生を歩んでいるんだろうな、とは思うけど、あとで苦労するんじゃないかな?なんて思ったりもした。余計なお世話かも知れませんが。


いちいち相手がどんなリアクションをするのか全て考えて行動するなんてもちろん出来ないんだけれども、相手とした約束は守る、というのは生活していて普通の感覚で身につくと思うんだけどな。そんなに簡単に約束を破っていると友情が育たないと思うので。親から過分に愛情を注がれつつ育つと、無邪気に成長するんだよな。きっと。人の気持ちが分からないというか。愛情を注がれて当たり前と思っちゃうというか。


まぁ、オイラもそんなタイプの人間なので、あんまり偉そうな事は言えないんですが、最近は、いろんな人に本当に感謝している。「与えられた思いに対してはきちんと報いたいし、与えたことに関しては見返りを求めない」という事をなるべく実践しようと思ってる。


リアクションは求めないってのが結構難しいんだよな。愛憎が絡むと特に、ね。そういうときは相手に対する関心量を落として、自分に対する関心量を増やす、というのが一番良いだろうな、と思う。良い意味での自己愛を深めるというか、自分の趣味により時間を割くというか。とはいっても関心量を0にしちゃうと、それはそれで軋轢の元になるので難しいんだよね。要は相手も無視されていると思うと、よけいに反感を買ってしまうというか。


とは言っても日によって距離感が大幅に動いちゃう事もあるわけで。それを誠意とか愛情とかで穴埋めできるかどうか、というのは大きな分かれ道だと思う。愛情を与えられるのが当たり前だと思っている人は、その距離感みたいなのを日によって大きく動かしがちなんだよね。相手が配慮してくれて当たり前、みたいな空気感になるというか。


セルフコントロールみたいなのがうまくいってないんだろうな、と思う。地に足がついてないので、自分自身が今どのあたりにいるのか、を自分自身でも把握していない、みたいな。そうなってしまうと、今、自分がいる場所を中心に考えざるを得ず、自己中心的になってしまうんだろうな。きちんと地に足がついていれば、周りとの距離感が上手くつかめるはずなのに。


自分がいつも正しい、と思う人も同じなわけで、フォローしてくれて当たり前、ミスをするのは忙しいから、ミスをするのは教えてくれないから、はたまたそもそも自分がミスをしてないと思い込むなど、ぜんぶ地に足がついてないのが原因だと思う。と、取り留めもなく考えていたことをつぶやいてみた。んじゃ、距離感はどうやって掴むの?という話なんだけど、やはり相手を人として真摯に見る、という事につきると思う。


相手は無尽蔵に愛情を注いでくれる存在、とか勘違いしていると、自分の軸は定まらず、いつまでたっても距離感は掴めないわけで。相手も血が通っていて、切られると血が流れる人間なんだ、と思った瞬間に、世界が変わると思う。このあたりも悟れといわれて悟れる問題ではないし、教えて伝わる話でも無いし。結局、暖かく見守ってあげて、いつか本人が苦しんだときに気がつくのを待つしかないんだろうな、とも思う。


天真爛漫な女の子の話を聞きながら、そんな事を思った。