ワクワク人生のススメ!

自分がワクワクすることを沢山書く事で、人生を楽しくしたいな、と思ってます。

(168日目)自分の中の倦怠感と血の通った思考について


倦怠感というのが一番似合っている気がする。自分が一番やりたいことをやってないみたいな。いろいろとやりたいことがあるのに、食い散らかしておわりというのが最近のトレンド。どれも食い散らかしてりゃ、そりゃ満足感も起こりませんよ。


マンガとか小説は読み切っているけれども、上辺だけ読んで終わりという感覚が離れない。要は、今の自分にフォーカスしきってないのが一番ダメなんだろうな。浮ついて生きているというか。


やることは沢山ある。だが敢えてスローダウンするというのが良いんだろうな、とか思った。スローライフでいこうとかタイムシフティングを再読する時期なのかも知れない。ともあれ、そういう本を読みつつも、精神を呪縛している本やらゲームは積極的に処分していきたいなとも感じている。少なくとも新規で買うのはしばらくやめよう。新しいモノは買わないくらいにして、消化に尽力をした方が良い。栄養過多の人間の脳味噌に更に栄養を投入してどうするの、と言う話だよね。


脳を動かして脳味噌にたまった贅肉を消化する、とそんなイメージで行きたいなとか思う。


あと脳味噌を真剣に使ってない感も明らかにある。惰性でつぶやいてみたり、ネットで拾った文章を軸にして楽をして文章を書いてみたり、自分の血を吐いた文章を書いてないみたいな。


もちろん、そんな血を吐くような文章を量産できるほど情熱も時間も才能も無いわけですが、もうちょっと自分というものを前面に出した血の通った文章を書いてみたいな、という欲求はあったりもする。そりゃ、分析とかまとめとかは得意だけれども、それってどこまで行っても我田引水の世界を抜け出せないわけで。


どう考えてもインプット過多なんだろうな。アウトプットが無いインプットは無駄だという話もあるけれども、アウトプットすれば良いという話でも無いと思う。もちろんアウトプットはドンドンしていきたいけど、インプット自体を絞ってみて、自分の中で思考するという行為を大切にしたい。


「本を読む本」に、読書というのは自分の思考を放棄する行為だ、という趣旨の文章が書いてあったと記憶している。自分の思考を放棄して、他人の書いた文章を読んであたかも自分が考えておいた風に満足する生活は、もうやめた方が良い気がする。


もちろん経験値のみで世間を渡っていけるほど、世の中は簡単な存在ではないし、模倣をすることで時間を短縮することの利点を捨てたいという訳では無い。今の状況は「模倣しすぎて、つぎはぎだらけのキメラみたいな存在になっているのではないか?」という感じがする。


繰り返し繰り返し自問自答しているとおり、オイラはやっぱり読む本、読む文章が多すぎる。もうちょっときちんと行動をすること、脳内の要らない文章を消化、消費、昇華することで、機動性の高い脳味噌にしたい。なんか、巨漢だと走れないのと同じで、情報が多すぎると逆に思考ができないという気持があるから。


色々書いてすっきりした。


自分が何の価値観を大切にしたいのか?というのを真摯に見つめつつ、脳内の思考をきちんと整理したいな、とか思った。「自分語り」の文章をどんどん書き出すことで、ね。


スローライフでいこう―ゆったり暮らす8つの方法 (ハヤカワ文庫NF)

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