欺瞞への嗅覚
また、人は嘘というか欺瞞というのをかぎ分ける、
本能的な嗅覚を持っている。
嘘とか欺瞞いうと言い過ぎだけど、
自分の言葉じゃない言葉は無意識に避ける。
偉人の言葉や、先人の言葉というのは、
その言葉自体、正解な事が多い。
(真理だから、歴史の審判に耐えたからこそ、残っているわけで。)
その正解を言う人ってのは、
意識的にも無意識的にも非難を避けているんだと思う。
言い方を変えると、高見にいるというか。
人は見下されるのが嫌いなので、
そういう正論をいう人間から逃げていく。
これは正論を言うなって話ではなく、
同じ正論を言うにしても自分の言葉に変換する必要が、
あるのでは無いのか?という事。
自分の言葉に変換すると言うことは、
その場の雰囲気をかぎ分けて、
自分の中できちんと反芻(はんすう)した上で、出す。
その反芻という行為こそが
自分の意見を斟酌する行為であり、
その咀嚼を経た言葉だからこそ、他人に伝わるのではないか?
と、そんな事をつらつらと考える。
まぁ、普段会話しているとめんどくさいので、
精髄反射的に「名言」を口にしてしまうことって多いんだけどね。
その自戒も込めてダラダラと書いてみた。