ワクワク人生のススメ!

自分がワクワクすることを沢山書く事で、人生を楽しくしたいな、と思ってます。

有料の本と無料のネット情報の違い


情報へのアクセスと、「本で調べる」という経験を子供にさせてあげたい件について: 不倒城


これを読んで思いついたことをつらつらと書いてみる。特に上記エントリと内容はあんまりかぶりません。論旨も全然違います。


個人的にネットで目にする文章の大部分がブログや個人HPなので、以下の文章は「個人がネットに書いた情報」と「出版された本*1」の話です。


オイラの肌感覚的には「平均すると情報の質は 本>ネット」となる気がする。ネット情報の方が質が落ちる理由を色々と考えてみた。


・無料という免罪符がある
・勢いで文章が書けてしまう
・一エントリの文章量が少ない
・流れを作りにくい
・多人数の視点が入らない


以下、簡潔に補足します。

ネット情報は無料という免罪符がある

ネットだと「お金をもらってない」が故に、気楽に文章が書けると思う。「無料情報だから良いでしょ?」という言葉が免罪符にしやすいというか。だからこそ粗製濫造されがち。

勢いで文章を書けてしまう

ブログは15分で文章を書いてアップするということが可能。通常の出版ではあり得ないスピード。もちろん勢いで文章を書くことが出来るということはメリットも多いんだけど、やはり文章の質は落ちてしまう。滝のように水は溜まるけど煮詰めにくい、というか。

一エントリの文章量が少ない

ネットの文章は基本的に一エントリ一内容であるし、比較的長文は好まれない。このため「事前説明を省く」事や「深いところまで行く前に終わってしまう」事が多い。

流れを作りにくい

ネットはリンクを貼れるけど流れを作りにくい。本は理解をするために流れを作る事が容易。また本は階段構造を作りやすいので、分かっている人は飛ばせるし、分からない人は最初の一歩から昇ることが出来る。

多人数の視点が入らない

ブログは単独で作られる事が多いので、どうしても独りよがりになりがち。本は基本的に編集という客観的な目と直しが入るので読みやすくなる。

まとめのようなもの

ネット情報は速報や感想を知るツールとしては有益だけど、何かを理解するという面では使いづらいという気がする。*2


もちろん丹念に探せばネットでも良い文章を見つけることは出来るんだけど、やはり検索に時間と手間がかかる。本は精度の高い文章であることが多いので、検索する手間が省けるという気がする。


ともあれ、両方の良いところをうまく使って行ければ良いんじゃ無いかな、と思う。

補足

言うまでも無くすべて本が有益ではないし、すべてのネット文章の質が悪いわけでもない。あと論文などはネットでも検索できるので、論文においてはネットと本の境目は低い気がする。


*1:個人で作った電子書籍除く

*2:例外的にゲームの攻略wikiみたいな集合知の話もあるんだけど、基本的に脱線なので省略。

オイラが頭をガツンとやられた5冊の本 #headquake5

頭をガツンとやられた5冊の本 #headquake5(R-style)


これを読んでムラムラと来たので文章を書いてみた。


オイラが今までの人生で読んで衝撃を受けた本を並べてみます。

十角館の殺人

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

ガツン本と言われて最初に思いついたのがこれ。言わずもがなの国内推理小説界の金字塔。あの一言読んで「え?え?え?」と狼狽したのを昨日の事のように思いだします。これを越える衝撃の推理小説は生涯出てこないよなーと長らく思っていました。未読の推理小説ファン*1には諸手を挙げてオススメしたい一冊。


風の歌を聴け

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

小説と言えば推理小説ばかり読んでいたオイラに取ってある意味ものすごく衝撃を受けた本。言い換えるなら「ああ、小説ってこういうのもありなんだ」と思わせてくれた作品といっても良いかな。この衝撃のあまり村上春樹の世界観から抜けられなくなりました。


すごく薄い本なので村上春樹初心者にもお勧め。オイラは数十回と読みましたが、未だに飽きない。


そうそう、この作品には面白い謎解きが含まれているというのを、つい先日知って衝撃を受けたりしました。この謎解きについては、また何かの機会に書きたいなと思ってます。

銀河英雄伝説

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

とにかく無類に面白いSF小説。SFファンには説明不要。SFファン・ラノベファンで未読なら読んで悔い無し。オイラがこの物語から受けた影響は数知れず。名台詞も枚挙に暇が無い。そして頭をガツンとやられたのは8巻。たまに思い出したように再読するんだけど、いつも8巻まで読んで終わる。理由はいわずもがな。9.10巻はほとんど再読してないので全巻含めてきちんと再読したいと思ってます。

バーニングワイヤー

バーニング・ワイヤー

バーニング・ワイヤー

ここ一年以内で読んだ最高のガツン本。これはマジですごい推理小説


推理小説ってある程度のパターンに集約されるので、仮にびっくりする作品を読んだとしても「ああ、あのパターンの亜流か」とか思う事が結構多い。良くも悪くもすれたファンって、面白い作品を読んだときに大体こういうリアクションをすると思う。


ただ、この作品は本当に驚いた。十角館体験再び、と言うよりも十角館を越える衝撃でした。過去に数百冊の推理小説読んでいるオイラでも未だにだまされる事あるんだなーと驚くと同時に、作者の良い意味での狡猾さに舌を巻くばかり。ただ衝撃を受けるためにはシリーズ全作品を読まなきゃいけない必要があるので、諸手を挙げてオススメは出来ない。ただ、このシリーズは本当に読んで損無しだと思う。


ともあれ、当作品のストーリー構成と伏線の張り巡らせ方、そしてその伏線を回収する手際の良さは言うまでも無く、物語の中で何度も世界観をひっくり返された上に最後のどんでん返しがもうすばらしい。「えーーーーーーーーーーーーー」と本を落としてしまったくらい衝撃を受けましたよ。


あと、このシリーズって「だまされる事は前提」の作品群なので、いつも「絶対だまされないぞ!」と警戒して読んでるんだけど、オイラの想像を遙かに超えるどんでん返しを持ってくるんだよね、いつも。本当に作者は豪腕と言わざるを得ない。本当に見事な作品群だと思う。


自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 156人 クリック: 3,495回
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最後は実用書を一冊。オイラの人生は箱前と箱後に完全に分かれた、という実感がある一冊。読後の精神的開放感が本当にものすごい。読むだけでうまくいってない人間関係が確実に良い方向に変わる本です。実用書(啓発本)の中で何か一冊と言われればまちがいなく当作品をオススメします。


小説仕立てなので読みやすいし、その割に内容が非常に濃く、いろいろと反論したくなるんだけど、読み進めるとその反論をことごとくつぶされて、最後にはある境地に至る、とそんな本。


人間関係に苦しんでいる人にとって特効薬のような本です。


火吹山の魔法使い(番外編)

ゲームブックですね。ガツン本と言われて2冊目に思いついたのがこれだけど、人にお勧めするにはいろんな意味で弱いなーと思ったので、番外編として挙げさせていただきました。個人的には今遊んでも相当面白いと思う。鍵集めとパラグラフの融合は本当に見事だと思う。これを越えるゲームブックは無いと思う。*2


まとめのようなもの

5分で思いついたものをベースに書いたけど、こういうのって勢いが大切だし、直ぐに思いつく本だからこそガツン本とも言えるよね。


あとラノベ縛りとか啓発本縛りとかやってみると面白いし、元エントリにもありましたが、映画、音楽、マンガ、ゲーム等のガツン系5つというのも有りだな、と思ったり。


ともあれ自分の記憶を振り返るのって存外に面白かったりするので、またこういうエントリは書いてみたい。

*1:そんな人いるのかな?

*2:異論は認める

毎日続けることで作業の開始コストが下がる話


開始コストというのは「あ、アレやらなきゃ」と思ってから実際に実行するまでに必要なエネルギーと勝手に定義します。あとこの場合のコストは主には精神的なコストの話です。


ある仕事を始めるのに10の開始コストがかかるとする。毎日作業をしていると必要開始コストが下がる気がしています。


習慣化するには「3日・3週間・3ヶ月」が目安、なんて言いますが、この区切りを越えると開始コストが如実に下がります。体感的には3日過ぎると5になり、3週間すぎると2になり、3ヶ月が過ぎると1になる感じかな。もちろん、ものによっては習慣化コストが下がるのが早いものもあるし、いつまで経っても下がらないのもある。ただ、開始コストが完全に0になることはない気がする。ともあれ、継続することで開始コストが下がるのは事実なので、何かを習慣化をするときは開始コストを意識するのが良いと思う。


また動き始めると何に対しても開始コストが低くなるのも事実。たとえば、超簡単な仕事をやると勢いがつくので、次にやる仕事の開始コストが下がる。

「開始コスト」の概念を意識した習慣化の進め方

・何かを習慣化するときは、既にやっていることと一緒にやる*1
・体調が悪い場合、開始コストは体調の悪さに比例して増える
・逆に体調が良いときは、開始コストは体調の良さに比例して減る
・体調が良いときの開始コストを基準にすると、体調が悪いときに習慣が止まる
・体調が悪いときの開始コストを考慮しておくと毎日継続しやすい
・言い換えるなら体調が悪いときでも続けられるくらい簡単な事から習慣化する
・たくさんのことを一度に習慣化しないのもコツ。虻蜂取らずになりがちなので
・開始コストが下がるのには時間がかかる
・開始コストが下がってきたのが体感できたら、難易度を1つあげる
・難易度を上げると開始コストも増えるので、開始コストが下がるまで習慣を続ける
・また開始コストが下がったら難易度を更に上げてみる
・開始コストは0にはならないので、あれこれ詰め込み過ぎない
・たまには自分がやっていることを棚卸し、必要じゃない習慣はやめる


あとコストを下げるための触媒みたいなものが有る気がする。お菓子を食べると作業が始めやすくなる、何らかの文章を書くことで作業を進めやすくなる等々。オイラの場合は、アメをなめたり、毎日の作業ログを読んだり書いたりすることで作業を進めやすくなることって多い気がする。


そうそう触媒と言えば、上記の話は「毎日続けることで、活性化エネルギーが下がる」と言い換えても良いですね。

その他

・体調によって開始コストは上下するため、習慣化には体調管理はなにげに大切
・新しい習慣を始めるときは、睡眠時間をたくさん取る事を意識すると続けやすい
・体調以外でもバイオリズムは有る気がする。月の満ち欠けの様に
・バイオリズムの上下によっても開始コストは増減する
・バイオリズムが下がっても続けられるレベルの習慣をまず身につける
・体調の悪さ、バイオリズムの低下の両方の波が来たときにでも続けられる習慣を考える
・言うなれば「すごい簡単な事」を習慣の種にする
・良い習慣の種ができたら、大切に育てる
・悪い習慣という雑草を抜くのも必要。雑草が大きく伸びて抜きにくくなる前に
・体を動かすことでも開始コストが下がる
・一度にたくさんのことを習慣化しない。月に1つでも身につけば御の字
・いつもの場所、いつもの音楽にも開始コストを下げる効果がある
・考えすぎると動けなくなるので、何も考えないで動くのも時には大切
・脳を動かす前に手を動かす、みたいな
・一回動くと不思議と動ける
・飽きるという事も開始コストが増える要因
・飽きずに続ける工夫(ちょっとした変化をつける事)も必要
・毎日続ける方がコストは下がるけど、多少抜ける日があっても良いと割り切る
・毎日続けることができませんでした→習慣自体終了。というのは最悪なシナリオ
iPhone等のアプリでチェックリストがあると、習慣化しやすい
・卓上カレンダーにチェックをつけるという単純なのも良し
・「やらないと気持ち悪い」というレベルになると習慣化は成功といえる

まとめのようなもの

ものすごい簡単な事から始める。そして時間を味方につけると習慣化がやりやすい。また、体調やバイオリズムの低下に加えて、突発的なイベントやら飽きも織り込んだ上で習慣化をするのが良いです。まぁ「人間って怠惰で移ろいやすい生き物だ」というのを意識するのが一番かも知れません。


良い習慣を体に編み込む事で良い人生を。

3週間続ければ一生が変わる〈ポケット版〉

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*1:開始コストが低く始められる

趣味を極めるというのは自分の枠を広げると言うこと


趣味は絞らないといけない話 - 蕎麦屋
ゲームにおいて、「上を目指す」という欲求から逃げている、という話: 不倒城


上記2つのエントリを眺めていて、オイラが感じたことを書いてみた。なお、お二人のエントリは触媒になっていますが、以下はお二人のエントリの内容とはあまり関係ない話をしています。あらかじめご了承ください。


あと大体言いたいことはタイトルで言っているので、時間が無い人はここで読み終えても問題ないです。はい。

道を究めることと効率について


投資時間と習熟の関係を考える際に「20%の時間があれば80%まで習熟できるが、残り20%を極めるには80%の時間が必要」というパレートの法則を思い出す。単純に考えると「いろんな趣味に対して20%の時間を使い、80%の道まで目指す」つもりでいると効率を考えると楽だし、たくさんのことが経験できて楽しいという事になる。


具体的には1つの趣味を極めるのに100時間かかるとする。80%まで楽しめれば良いと割り切れば5つの趣味に各20時間を使えるので、80%×5=400%分楽しめることになる。1つの趣味に時間を費やすよりも効率を考えると4倍になる。


もちろん残り20%を極めることに意味が無いという訳では無くて、残り20%を目指す事こそが楽しいと言うこともあるし、残り20%を目指す人たちと一緒に高見を目指す行為*1というのは本当に得がたい体験だと思う。


また高みを目指すという事は「残り20%を極めるために80%の労力を使う覚悟があるのか」という事だと思う。これって割と登山に近い気がする。8合目までは簡単に行ける*2けど、頂上を目指すのは苦難の道、みたいな。ただ一度頂上をまで昇った人は自分の中の枠が大幅に広がる。人間的な器が大きくなると言っても良いかもしれない。この体験をどれだけできるか、で人間的な深みが変わってくるな、と個人的には思う。

その他思ったことを箇条書きで

・低い山の方が登りやすい
・どんな低い山でも良いので高みに登ったという経験は得がたいもの
・高みに登った経験があると、次に「より高い山」に登りやすくなる
・簡単な山ばかり登っていると楽だが満足感は得にくくくなる
・徐々に高い山を目指していくのが理想
・仕事も趣味も同じ。仕事は自分のスキルをどのように高めていくというデザインが必要
・他人には登りにくい山でも自分は楽々と上れる場合もある。もちろんその逆もある
・たくさん山に登ってみて、どの種類の山が登りやすいのか?を見極める必要がある
・人より楽に登れる山を目指すのが中長期的に見ると大切
・闇雲に山に登るのも良いが、適切な登山計画も大切。日程管理やらスタミナ調節やら食料準備やら
・どの山を最終的に目指すのか?というぼんやりとしたイメージはあっても良い気がする
・登る前のトレーニングも大切だが、トレーニングばかりしても山に登らなければ意味がない。
・四六時中登り続けるのでは無く、適切な休憩も大切。
・毎日登ってないと確実に登る技量は衰える。ただ、まったく0になるわけではない。
・毎日やると×2/日になるが、途中で辞めると+2/日になるというのは体感としてあってる気がする
・苦労せずに毎日続ける仕組み作りも大切
・元気なときに仕組みを作り、元気が無いときでも自動的に継続できる体制を構築すると良い
・調子が良くても登りすぎない。逆に調子が悪くてもある一定水準までは登る
・何も考えず登り続ければいつの間にか筋肉もつくし、スキルも高まり、気がついたらびっくりするくらい上にいる。


・高みを目指す人はストイックにならざるを得ず、高みを目指さない人から見ると近寄りがたくなる
・高みを目指す人は、高みを目指さない人を下に見がち
・故に高みを目指す人と目指さない人は「お互い相容れない存在」になったりする

まとめのようなもの

ともあれ「多趣味の方が圧倒的に楽」だけど、その道を究めたい(頂上から見る景色を見たい)のならば趣味を絞らざるを得ないんだと思う。どちらを選ぶのも個人の自由だけど、頂上を見なければ自分の器は広がらないのも事実。


広い器を持つのが幸せだと考えるか、狭いままの器で満足するかは人生観の違いだよなと思うけど、「何かを極めた」という経験が多い方が豊潤な人生だよな、と個人的には思う。軸となる趣味を持ちつつ、多趣味というのが一つの理想型かなぁ、と漠然と考える。


特にオチはありませんが、今日はこんなところで。

自戒のようなもの

最近は、ゲームを中途半端で放置している事が多く*3、仮にエンディングを見れたとしても極め要素は放置して終了!という事が非常に多い。こんな文章を書いていて「どれか一つのゲームに腰を据えて取り組む」のもたまには良いなぁ、と思ったりした。昔は一つのゲームを極めるまで遊んだのになぁ。

その他

第50回 練習の効果 | ワイアードビジョン アーカイブ

2倍うまくなるために100回練習が必要だとすると、4倍(2×2)うまくなるためには10,000回(100×100回)の練習が必要!かくのごとく上達は茨の道。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

*1:切磋琢磨すると言い換えても良いかも

*2:言うまでも無く山の形状によって違いますので、どの山でも8合目まで行くのが簡単という話じゃないんですよ。念のため。

*3:10本くらい放置してるのだw

生産性の罠について


どこかの本で「生産性の罠」という項目を読んだのですが、面白かったので項目のみメモしておいた。


この「生産性の罠」という7つの項目について、オイラが思ったことをつらつらと書いてみました。

生産性の罠

  • 受信箱を空にする事に執着してしまう
  • 本論を忘れて検索しすぎてしまう
  • 無益なことに焦点を絞ってしまう
  • 週末をダラダラと終えてしまう
  • なんでもソフトウェアで対応しようとしてしまう
  • インターネットのブラックホールに吸い込まれてしまう
  • 実行すべきものを同時に行ってしまう



受信箱を空にする事に執着してしまう

受信箱を定期的に空にするのはありなんだけど、空にすることを目的としてしまうのは本末転倒だという話だと思う。メールボックスは一日3回程度空にするくらいでOKな気がする。常にチェックするのはまぁ、時間がもったいないよね。仕事が煮詰まったりすると無駄に送受信ボタンを押してメールを受信しちゃうのも良くやりがちなんだけど。

本論を忘れて検索しすぎてしまう

わからないことがあって検索するのは良いのですが、検索がてら「あ、これも調べておこう」と、脱線しすぎてしまうと本論がさっぱり進まなくなってしまうのもやりがち。目的はなんなのか、を考えた上で必要最小限のものを調べておくのが良いと思う。あと、どうしても調べたいと思うなら「○○を調べる」というメモを残しておいて、あとで検索するのはあり。

無益なことに焦点を絞ってしまう

楽なことに流れてしまうのが人間の性といえば性。ただ、だからこそ無益なことから焦点を外す勇気が必要とも言える。なかなかそんな勇気は持てなかったりするんだけど。あと、無益なことこそ楽しいから困ったりする。

週末をダラダラと終えてしまう

平日疲れちゃうと、週末をダラダラ過ごしがち。もちろん、常にきびきびと動ける人なんていないから、たまにはダラダラする日を作るのはありだと思う。ただ、それが毎週になってしまうともったいない。いや、割と毎週無駄にしている気もしますが。個人的には。あと、週末に非日常的な事を行うことで、生活に刺激を入れる必要がある。刺激があるとエネルギーになるからね。

なんでもソフトウェアで対応しようとしてしまう

口頭、電話、手書きや電卓が良いこともある。手書きの有用さは最近よく思う事で、todoリストなども手書きをした方が、実行する確率が上がる気がしている。PC上のタスクは無視できるけど、手書きのtodoリストは無視できない、みたいな。

  

インターネットのブラックホールに吸い込まれてしまう

上述の「検索」に近いかも知れないけど、検索以外にどうでもよいHP閲覧や、不必要なメールチェック、SNS等々も時間がもったいない気がする。まぁ、インターネットの吸引力って相当強いんですけどね。吸い込まれる快感におぼれて元に戻れなくなる事って本当に良くある。

実行すべきものを同時に行ってしまう

一度にできることは一つなので、自分の脳内リソースを、一点に集中することで効率を上げる必要はある。これも手書きのtodoリストが割と役に立つ気がする。手で書いたtodoリストを元に上から愚直に実行するだけ。途中で割り込んできたタスクは、手書きで下に追記するだけ。このシンプルなシステムが割と効く。

まとめ

とにかく身の回りには生産性の罠がたくさんあると思って行動した方が良いな、と改めて思ったりした。何をやるべきか、というのを絞り込んだ上で、脱線せずに愚直に実行するのが何よりも大切だよな。ほんと。


まぁ、脱線しちゃうのも含めて人生なんですけどね。

ブラフという嘘に翻弄されるゲームについて


ボードゲームの「ブラフ」が個人的に結構好きだったりする。運の要素が強く、かといって実力が反映されない訳でも無く、運と実力のバランスがものすごく良くできたゲームだなーと思います。


ブラフに関するエントリを2つ読んで個人的に思ったことをつらつらと書いてみます。


ブラフに関する戦略論: 不倒城
ブラフの戦略を考える - (旧姓)タケルンバ卿日記


ブラフって何?って人は、以下のURL参照。
・ブラフ (ゲーム) - Wikipedia
・ゲーム紹介: ブラフ / Bluff 高円寺0分すごろくや

ブラフについて考えたこと

お二人のエントリを読んでみて、ブラフの勝利条件は「自分のダイスを残す」「相手のダイスを0にする」という事なので、自分に順番が回ってこない、自分がブラフの宣言を受けない(しない)というのは基礎戦略としては非常に有効だな、と確かに思った。オイラはそういう観点でブラフを遊んでなかったので、非常に目から鱗が落ちるというか、みんな腹黒いなぁ(注:褒め言葉です)とか思ってしまいました。


ふと「ごきぶりポーカー」で負けない秘訣は目立たないこと、みたいなのを思い出した。ただ、ブラフもごきぶりポーカーも同じで、参加しないとおもしろくないよね〜とも思う。どちらも集中砲火を浴びた方がおもしろいゲームともいえるので。もちろん、集中砲火を浴びると言うことは、負ける確率も上がるわけですが。


その一方、ゲームをやるからには勝ちにこだわるのは大切だし、みんなが勝ちにこだわらないとおもしろくならないのは事実ではある。けれども、過度な勝ち負けにこだわることなく、ゲームに翻弄されるのも、また面白いと思うので、オイラは積極的にプレーに関与したいな、とか思ったりした。


ともあれ、ブラフはやればやるほどおもしろいという非常に希有なボドゲだなと思います。初心者も楽しめるし、上級者も楽しめる。初心者と上級者が混じってもおもしろい。運次第で上級者もあっという間にダイスがなくなったりするので。麻雀と同じで、初心者が勝つ余地もあるし、中長期的にはうまい人がトータルで勝つのも良いバランスだよね。


さて、オイラが思うブラフのコツについて思うままに書いてみます。

ブラフで勝つコツ

・場で生きているダイス数を常に意識する
・ぎりぎりの線を狙って宣言する
・宣言が並んだときの対応を意識する
だと思います。


思ったことを詳細に書いてみます。

場で生きているダイス数を常に意識する

 期待値を瞬時に把握すると言い換えても良いです。ブラフでは死んだダイスを中央に並べて置くという作法がありますが、きちんとダイスを並べておくと期待値が把握できます。また、ダイスをたくさんもっている人が強い立場となり、ダイスの数が少ない人は弱い立場になるので、「誰がダイスを何個持っているのか」をきちんと確認しておくと良いです。


終盤戦が近くなればなるほど、たくさんダイスを持っている人が場を支配するようになります。

ぎりぎりの線を狙って宣言をする

ジャストを狙う、というのも一つの戦略だと思う。期待値より上を宣言する→ブラフを宣告される→ジャスト!(自分以外の全員のダイスが減る)というのが理想の流れ。*1


もちろん自分ではジャストはコントロールできないんだけどジャストを確率論的に出やすくする事はできる。


ジャストを出やすくするためには、「自分だけが知っているダイスの偏差(かたより)をうまく使う」必要があります。もちろん、ジャストを狙いすぎると誰も乗ってこなくなるので、適度に嘘(ブラフ)を混ぜる必要がある。


要は「ダイスの偏りがあるように振る舞っていながらも、実は偏りがない宣言(もしくはその逆)」をなにげに混ぜる、という事。

対戦プレイヤーの技量を見切る

ダイスを公開したときに相手の中身をきちんと見ておくのが大切。その公開情報で、相手の技量をはかることができる。


「きちんとダイスの偏りをベースに宣言をしている人」言い換えるなら2をプッシュしていて、手元に2(もしくは☆)を多く持っている人は、「ある程度、わかっていて宣言している人」だと言える。ここまでは中級者だとして、「きちんとダイスの偏りをベースに宣言していない人」については、「まだルールを深く理解してない人」もしくは「意図的にブラフを仕掛けている人」に二分される。前者は初心者だと思うのでそれほどマークする必要はないけど、後者は上級者なのできちんとマークしておく必要がある。


言うまでも無いけど、最後まで残っている人は上級者の可能性が高く、何戦か戦っていると上級者かどうかは自然とわかる。安定し勝つためには、「あの人はブラフ巧者か?」というメタ情報を得ておく必要はある。*2もちろん、上級者と遊んだ方が楽しいので、オイラは上級者と戦うのは大歓迎なのですが。


上級者について補足しておくと、全体の期待値が8だとして、「2を10個!」と宣言している人は、手元に2を3つ前後(もしくは2と☆を併せて3つ前後)持っていると推測できる。ただ、実際公開したときに2(もしくは☆)をそれほど持ってなかったとすると周りの人を罠に陥れようとしている意図が見える。


特に終盤になって読みあいをするときに「意図的にブラフを仕掛ける人」と戦うのは面白くもあり困難でもあるので要注意です。ただ、意図的にブラフを仕掛ければ仕掛けるほど、ブラフを宣告されたときに自爆する確率が上がるので要注意。


また嘘をついた人はマークされるので、要はそのリスクを勘案した上で、適度に嘘を混ぜているのか?を見極める必要があります。

宣言が連続で並んだときの対応を意識する

たとえば連続で「2」が並んだときは要注意。たとえば「2が10個」「2が11個」「2が12個」と並んできたときは、たぶん、皆様の手元に「2(もしくは☆)」が期待値以上に入っていることが予想される。皆様の手の中に2が色濃く入っていると想像でき、かつ他の数字が少ないと予想できる。もちろん皆が正直者とは限らない。この疑い出すときりが無いところがブラフのおもしろさだと思う。

その他コツ

・序盤戦と中盤戦と終盤戦は違う戦いになることを意識する
・対戦プレイヤーの技量を見切る
・強い人とやらない*3
・「とりあえず3は15個あるよね」とか、ゲームやる前から話し始める人はたぶん黒いw

補足

ちなみにオイラはこうした考察文章を書くのは大好きなのですが、ブラフ自体は安定して勝てるほど上級者ではないので、過度に警戒しないでくださいね。


あと毎回、相手がどんな宣言をしていて、どんなダイスを公開しているか?をチェックすると相当疲れるので、そこまで意識して遊んでいないです。もちろんスイスドロー形式でブラフをやるのならば、短期決戦的に全部のダイスを注意深く眺めるかもしれないけど。


それと全然関係ないけど、「しんざきさん、黒いわ〜」とかメタで言っている時が一番楽しい気もする。


ともあれ「意図的な嘘」をつかないと勝てないゲームって面白いなーと思う。嘘を武器にするけど、嘘にもてあそばされ、嘘に翻弄され、嘘にだまされる。ただ、嘘を看破したときの快感がすばらしい、と。


Bluff: Erwachsenenspiele

Bluff: Erwachsenenspiele

*1:期待値より下だとジャストになりにくいので。

*2:他のゲームがうまい人は、ブラフも強かったりするだけどね。

*3:もちろん、ネタですw

Twitterで気楽につぶやけなくなった件について、つらつらと考えたこと


オイラにとってTwitterでつぶやくことは、水を飲むような行為だった。*1


仕事が忙しかった事などもあり、ここ数ヶ月、気楽につぶやけなかった。気楽に水が飲めなかった。水を飲まないが故に、心が渇いてしまっていた。でも「なんでしばらくつぶやけなかったんろうな?」という事を、ずーっと考えていたんだけど「周囲に配慮しすぎたが故に、がんじがらめになっていてつぶやけなかった。」という事に考えが至った。


ともあれ何かを気にしてつぶやいた瞬間に、そのつぶやき自身は嘘になってしまう。もちろん一般常識も配慮しないでなんでも垂れ流せば良いという話では無くて、何かを気にした瞬間に言葉自体の新鮮さが無くなってしまい、乾いたパンのような言葉になってしまうというか。


ともかく「嘘はつぶやきたくない」と個人的に考えている節がある。というか、適度な嘘をつきたくないからTwitterを使っているとも言える。なにより、嘘をついてしまうのなら、それはリアルに生活している場と同じになってしまうので、もはやTwitterを使う意味は無くなる気がする。


また人が他人の言葉に共感するのには「邪気のない言葉」が必要だと思う。言い換えると人の「嘘」やら「体裁」やら「その場しのぎ」みたいな言葉を本質として嫌うと思う。その言葉の中に異臭を敏感にかぎ取ってしまうが故というか。


仕事上やらリアルな人間関係では「嘘」や「体裁」に囲まれて生きているので、せめてTwitterくらいは「嘘」がなく過ごしたい。だからこそ、嘘のつぶやきをしたくないと思っていたんだろうな。きっと。そして、なるべく嘘が無い人間関係を作りたかったんだろうな、と。


もちろん「嘘」のまったく含まれていない完璧なつぶやきなんて無いんだろうけれども、なるべく「嘘」の少ない無邪気なつぶやきをしたいなぁ、と改めて思ったりした。


まぁ「こういう事を考えている事自体が、無邪気なつぶやきを阻害している要因そのもの」なのかもしれないけどね。


生きるのって難しい。*2


あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

*1:最近はそうでもないけど。

*2:いつか再び無邪気に笑える日が来るんだろうか。