Twitterで気楽につぶやけなくなった件について、つらつらと考えたこと
オイラにとってTwitterでつぶやくことは、水を飲むような行為だった。*1
仕事が忙しかった事などもあり、ここ数ヶ月、気楽につぶやけなかった。気楽に水が飲めなかった。水を飲まないが故に、心が渇いてしまっていた。でも「なんでしばらくつぶやけなかったんろうな?」という事を、ずーっと考えていたんだけど「周囲に配慮しすぎたが故に、がんじがらめになっていてつぶやけなかった。」という事に考えが至った。
ともあれ何かを気にしてつぶやいた瞬間に、そのつぶやき自身は嘘になってしまう。もちろん一般常識も配慮しないでなんでも垂れ流せば良いという話では無くて、何かを気にした瞬間に言葉自体の新鮮さが無くなってしまい、乾いたパンのような言葉になってしまうというか。
ともかく「嘘はつぶやきたくない」と個人的に考えている節がある。というか、適度な嘘をつきたくないからTwitterを使っているとも言える。なにより、嘘をついてしまうのなら、それはリアルに生活している場と同じになってしまうので、もはやTwitterを使う意味は無くなる気がする。
また人が他人の言葉に共感するのには「邪気のない言葉」が必要だと思う。言い換えると人の「嘘」やら「体裁」やら「その場しのぎ」みたいな言葉を本質として嫌うと思う。その言葉の中に異臭を敏感にかぎ取ってしまうが故というか。
仕事上やらリアルな人間関係では「嘘」や「体裁」に囲まれて生きているので、せめてTwitterくらいは「嘘」がなく過ごしたい。だからこそ、嘘のつぶやきをしたくないと思っていたんだろうな。きっと。そして、なるべく嘘が無い人間関係を作りたかったんだろうな、と。
もちろん「嘘」のまったく含まれていない完璧なつぶやきなんて無いんだろうけれども、なるべく「嘘」の少ない無邪気なつぶやきをしたいなぁ、と改めて思ったりした。
まぁ「こういう事を考えている事自体が、無邪気なつぶやきを阻害している要因そのもの」なのかもしれないけどね。
生きるのって難しい。*2
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