ワクワク人生のススメ!

自分がワクワクすることを沢山書く事で、人生を楽しくしたいな、と思ってます。

(165日目)書くことについて語るときにオイラの語ること


オイラの特性として、文字を書くのが楽しい、文字を読むのが楽しい、という事はあると思う。


ただ、書いた文章に関してどのように読まれたいのか?と言うことはあまり考えない。全く考えない訳じゃなくて、もちろん読んで共感してもらえれば嬉しいけど、そもそも文字では全部伝わらない、と思っている*1ので、まー誤読されてもしょうがないかな?とも思ってる。


ただ、はてなスターをもらうのはやっぱり嬉しい。Twitterでふぁぼられるのも嬉しいのですが、やっぱりブログでもらう☆はちょっと違う気がする。独特の重さみたいなものがあるというか。あと、ブクマも嬉しい。それだけ読む価値がある、ブクマされる価値がある、何かの記録として残したい、という印象を相手に残せた、と言うことだから。


それとアクセスも地味に嬉しい。アクセスに喜んでいるウチはブログの素人などと申しますが、まー素人ではあるし(笑)あと、やっぱりアクセスが増えると言う事は、それだけオイラの文章を読んだ人が増えた、と言うことだから、単純に嬉しかったりする。


こうやって書いてみると、やっぱり読んでもらう事は単純に嬉しいんだな、という事に気がつく。そうなのか。特に喋ったことを聞いてもらいたいという欲求は無いんだけれども、書いた物を読んで欲しい、という欲求はあるんだなーとか思った。


ところで脱線するけど、うちにも親父がいるんですが、ものすごく話が好きなんだよね。オイラが話をしていると、「それはそうと...」といって全部自分の話にしちゃうみたいな感じで、どんどん自分語りをしちゃうタイプ。そんな人を目の前にして二十年くらい生きて来ちゃった訳なので、なんとなく「自分語り」というものにうっすらとした嫌悪感があるのかな〜なんて思ったりもする。事実、あんまり自分の事ばかり話す人は好きじゃなかったりするので。自分自身も「自分語り」というのはあまりしないタイプではあるし。


もちろん、オイラは話をする人が嫌いというわけではない。こちらの話も聞きつつ、きちんと会話を楽しむことは凄く好きだし、一方的に話をされても別に苦痛にならない事も多い。なんだろうな、自分の事だけ語られても困る、という事なのかも知れない。


あと、文章で読む分には別に「自分語り」みたいなのは結構好きなんだよね。その人の個性が垣間見えるような。ってここまで書いていて、「単にオイラが、ウチのオヤジが嫌いなだけじゃね?」とか思ったりもした。いや、嫌いじゃないんだ、あの「俺が俺が的な」性格が好きになれないだけだ(笑)


何を書いているのか分からなくなった。


ともあれ、この文章自体が思いっきり「自分語り」になっているが、特に嫌悪感みたいなのはない。むしろ楽しい。すっきりするというか。要は文章になっている「自分語り」はOKだけれども、喋る「自分語り」はあんま好きじゃないんだろうな、とか思った。


喋る「自分語り」は相手の時間を専有しちゃう*2けど、書く「自分語り」は相手の時間を専有しない。嫌だと思ったら読まないで終わりだしね。


ただオイラ自身は「自分語り」をしているブログを読むのは好きだし、ただ、個性が垣間見えない文章を読むのも好きなんだよね。まー文章自体が好きなんだろうな〜とも思ったりもする。


どのくらいの人がこの文章を読むのか分からないけれども、まー読んで暇つぶしにでもなってくれれば嬉しいですし、なおかつ楽しんでもらえたのなら望外の喜びでもあります。


走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

*1:妙に達観しているとも言う

*2:自分自身も時間を専有されるのは、あんまり好きじゃ無いしね。