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ワクワク人生のススメ!

自分がワクワクすることを沢山書く事で、人生を楽しくしたいな、と思ってます。

長考せずに勝利を目指す道。


ゲームにおける「長考」について長考してみた


この文章を読んでいて、個人的に「ん?」と違和感を感じたので、その違和感をつらつらと書き連ねてみます。若干誤読的な部分もあるし、オイラが思った事を書いているだけなので、直接的な批判ではないことを、あらかじめ明言しておきますね。


ゲーム全般に対するオイラのスタンスを書いておくと、基本的に長考は好きじゃ無いタイプです。原則として勝ちを目指していますが、「良いゲームをしたという共有感」を求めているので、ストイックに勝利は求めていません。ただ、負けるのは嫌いですし、良い場を作りたいと思っています。

本題

さて、上記長考についての文章は簡単に要約すると「勝利を目指すからには、多少の長考は必要不可欠。そういう価値観も認めて欲しい。相容れなくても良いけれども。」という事になると思うんだけど、オイラは煎じ詰めていない感を受けました。


たとえば接客業をやっていると、
・人件費は削減しろ
・ただ顧客満足度は上げろ
みたいな事を上司から平気で言われたりするわけです。


人を増やせば顧客満足度は上げやすい。顧客一人一人に費やす時間が増えるわけだから。*1ただ、人を増やせないから、顧客満足度が上げられないと言ってしまうと、「人を増やさず、かつ顧客満足度を上げる方法を模索する」行為を放棄している気がするんだよね。


2つの矛盾を解決するのがアイデアだと、任天堂の宮本さんは言ってましたけれども、「短い時間の中でも勝利に対してベストを尽くす」という行為こそがゲームの面白さをより引き出すのではないか?と個人的には思います。


言い換えるならば「矛盾をした条件下で、活路を見いだすのが面白いのでは?」ということ。


「短い時間で適当なプレーを目指す」のではなくて「長い時間で完璧なプレーを模索しつつ勝利を目指す」のでも無くて、「短い時間で完全なるプレー目指し、かつ勝利を勝ち取る!」って格好良くないですか?一番エレガントな気がするんですよ。


長考というのは、どういうスタンスでやっているとしても、「相手の時間を奪う行為」になります。その相手は待ちぼうけになっています。*2ならば、「限られた時間で決断を繰り返す」ゲームが終わってから「感想戦でじっくりと考える」というのが良い気がします。


あと、初心者を含めてやる場合や、あらかじめじっくりやろうぜ!と言ってやり始める場合は勿論例外です。ゆったりとしたペースでゲームをやるのもまた楽しいですからねー*3


ただ、ある程度ゲームに慣れた人たちが遊ぶとするならば、「ある程度のリズムをもってゲームを回す」というのが、最大公約数的な幸せになるのかな、なんて個人的には感じます。なので、こんな文章を書かせてもらいましたとさ。


まー色々書きましたけど、オイラとしては「長考する行為を否定する」つもりもないですし、「長考を正当化するのはおかしい」というつもりも全く無い事を、念のため付しておきます。楽しむためにゲームをやるわけですし、オイラの価値観を押しつけるつもりも全くないですから。それに色んな考えの人がいるからこそ人生が豊潤になるわけだから。*4


ということで、ゲーム大好きな皆様、こういう文章を書いたり読んだりするのも好きな皆様。一緒に良いゲームライフを過ごしましょうね!

NEW ラミィキューブ

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*1:もちろん、単純にそうはいかない場合もあるけれども、一般論として。

*2:もちろん、待たされている人も、自分達のプレーについて考える時間にはなるわけですけれども。

*3:ドミニオンとかを初心者の人とまったり遊ぶのって楽しいですし。

*4:でも、考える時間は短くしようぜ(笑)