発信することで渇く
森博嗣さんの日記を久しぶりに読んだ。(3ヶ月分くらい)
森博嗣さんといえば、
「すべてがFになる」という小説で衝撃を受け、
最初のシリーズを10冊読んだ。
※その後のシリーズは、ほぼ全部未読
この人のエッセイはものすごく切れ味が良くて好き。
日記はそのエッセイの塊みたいなものなので、
読んでいると時間を忘れてしまう。
その中で感銘を受けた所があるので、引用してみます。
森博嗣さんの07/3/28の日記より
つまり、「発信」という行為は、
どうしたって結局は欲求不満が大きくなるだけなのだ。
「受信」は少なくとも「満たされる」行為だが、
「発信」はその逆である。
出したから不満になるのではない。
出すことによって、さらなる未知を知ってしまい、
容量が増すために、相対的に不満になる。
だから、ものを表現し伝えることで、
満足を得られると考えている人は、たぶん長続きしない。
クリエータを目指す人は、古い表現だが、
そのことを肝に銘じておくと、
仕事として持続できるだろう。
満足を求めてはいけない、ということ。
不満が大きくなることが正常なのだ。
それが、発信することによって得られる「成長」だ、
と僕は最近気づいた。
最近、「情報起業」という事に興味を持って、
いろいろと調べているんだけど、
調べて、それを文章化する過程で、
どんどん渇望している事に気がついた。
発行してみることで、
どんどん学習し、どんどん渇望し、
どんどん情報を供給し、
その結果、読者に喜ばれると楽しいなぁって思う。