設計できるはずのない人生を、いかに設計するか?
日経BPのHPで、
宋 文洲さんの、
「人生は設計できるものではない」
というコラムを読んだ。
人生は設計通りにいかないのがほとんどです。
これを知って運命論にはまり努力を諦めるか、
偶然に素早く順応し新たな気持ちで努力をするかで、
人生は異なります。
経験から言えるのは、一度立てた人生設計にこだわる人は、
幸せになるのは難しいのではないかということです。
一意専心も必要ですが、
刻々と変化する状況を見極めないと願いを成就することも、
目的を達成することもできないと思います。
目標をきっちり決めると言うよりは、
フレームワークをしておき、
中身に何が入ってきても良い、
というのが良さそうだと感じた。。
※具体的な目標よりも抽象的な目標を決めるという事。
例) ○皆で幸せになる ×大会社で社長になる*1
目標というのは方向性とも言える。
方向性を決めることで、その具体策が見えてくる。
向かう方向さえ決まっていれば、
具体的な方法自体は、随時修正が可能という訳だ。
なるほど...
目標を設定するといえば、
具体的なところに落としがちだけど、
抽象的な所からアプローチする方が近道だ、
ということか?
ああ、だから30年後の目標から決める訳か。
思い起こすと、
神田さんの「非常識な成功法則」の中に、
「30年後の目標を決めると良い」というのが有った。
「そんな先の事なんか決められねーよ。
とりあえず、今、どうしたいか?が大事だろ」、
と脊髄反射的に反発していたわけですが、
今、その有用性が始めて腑に落ちた。
すごく腑に落ちた。
なるほど。30年後の自分ってのは、
自分の人生の方向性な訳だ。
行くべき方向さえ決まれば、
20年後、10年後の具体的な足がかりを作っていけると。
10年後が決められれば5年後も出来、
4.3.2.1年後も見えてくるので、
一ヶ月毎の一里塚も出来る。
また、方向性を持って道を歩んでいくうちに、
どのようにしたら効率的か?
という方策がどんどんと浮かんでいき、
次々と軌道修正をする事が可能であり、
さらにガンガン目標に近づくって訳だ。
はぁ....
毎日、啓発CDを聞き、啓発本を読み、
アファメーションメールで目標を設定を願い、
日々、幸せに生きていたら、
突然、こんな「気づき」が湧いてきたよ。
自分でもびっくりだ。*2
このワクワク感を胸に、
30年後の自分をあらためて考えてみたい。
そう思った。
最後に、
宋さんのコラムで、印象に残った一説を引用する。
想像すら難しい先のことまで考えている経営者より、
「猪を狩りに行くところに、鹿に出合ったら迷わず撃て」
という経営者を僕は信頼しています。
多分、
鹿が出てくるのは偶然ではなく、必然じゃないか、と感じる。
そして、とっさに鹿を撃てるかどうか?が、
運をつかめるかどうか、の境目だと思う。